なるほど健康メモ

他人の視線と自分の主体性(1)(R元.8月号)

「目は口ほどに物を言う」と申しますが、 なるほど視覚はコミュニケーションの重要な 要素です。目と目を合わせ笑顔を交わし挨拶 をする、これが良好な心の交流の始まりです。

ところが、他人の視線は自分の主体性を危うくすることがあります。主体性というのは自分が自分の主人公であるという認識と考えて良いでしょう。言い換えれば、自分が自分の行動や認識の担い手であるという意識といえるかもしれません。この主体性が他人の視線に気圧されてちょっと萎縮してしまう、はにかむという状態になることがあります。

他人の視線と自分の主体性(1)(R元.8月号)

この「はにかみ」は通常多くの人に見られる
現象ですが、一時的な出来事として問題になる事はありません。しかし、それが常時頻繁に起こり、自分自身に苦しみを与えるという事になると問題です。これが視線恐怖症という病気です。日本人に多く欧州人に少ないといわれていますが、欧州人の中にもその傾向の強い人が存在します。この主体性の危機は、自分自身の存在の外側に起こる軽いものから、自分自身の存在を根本的に危うくする統合失調症の不安感というものまであります。

他人の視線に閲されて主体性を縮こまらせてしまう「はにかみ」や対人恐怖症の人と違い、人に見られている状況の中で自分の主体性を持って他人に働きかけ交流を求める人達がいます。舞台俳優・演奏者・いいふりこき※等です。「はにかみ」や対人恐怖症の人達は、自分が他人に誤解されるのを極度に恐れます。自分が偽善者・虚栄心の強い者・いいふりこき等と言われるのを避けようとしています。

※いいふりこき…北海道弁で「いい人ぷる人、格好つける人」の意